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たまには真面目な話
マユです。酒飲みながらテレビでタイタニック、見た。
これ見てて、自分の心境に変化があったので記事にしようと思う。
たまにはこう言う記事もいいかな・・・、なんて思ったので。

タイタニック。
これを初めて見たのは私が何の恐怖もなく、割と平穏に暮らしていた時だったと思う。
何年前なのか、調べるのも面倒なので調べないけど。

当時、私は恐らく感動し、船が沈没する前、最中、その後には声を上げて泣いたのを記憶している。
でも、あれから時は流れ昨日同じ画面を見てちっとも泣けなかった。

恐怖だけが心に残った。

あれだけの恐怖、生か死かに境遇する人は恐らく一握りだろうと思う。
ほとんどの人が、そんなことには無縁で一生を終えるだろう。
言ってみれば、そう言った恐怖を味わうことは寧ろアンラッキーだと思う。

2004年10月23日夕方6時前 私は新潟の自宅にいて震度5弱の地震を体験した。
自分の意志以外で、本当に「死ぬかもしれない」と感じたのはあの時が初めてだった。
どうにもならない自然の猛威、ただただ耐える事しかできない恐怖。
その信じられない揺れの最中には「頑張る」とか「大丈夫」とか言う言葉はとてもちっぽけなことで、ただただ「生きる事に」必死でいるしかなかった。
自分のちっぽけなこの身ではどうにもならない。もう、身を任せるしかなかった。
それでも必死で。停電した真っ暗な家の中で必死に何かにつかまり、体が飛ばされないようにしがみついていた。
もう、死ぬんだと思った。
人は死ぬ直前に今までの光景を走馬灯のように思い出すと言うが私はそうではなかった。
・・・、そっか、私は生きているのだから当たり前か。
私はその時、この世に未練たっぷりだった。
まだ死にたくない。まだ死にたくない。まだ死にたくない。
それだけだった。
そして、揺れがおさまって近所の小学校に避難するまで、今の今まで起こったことを信じられずにいた。
小学校のグランドに車を止め、一晩明かした。
10月の新潟は秋から冬へ。夜は冷え込み空気がピーーーンと張り詰めていた。
すごく寒かった。毛布が配布された。
車の窓から見る夜空は満天の星。
まさに、天国と地獄だった。

翌朝は、これまた快晴だった。
悲しくなるくらいの秋晴れだった。
朝日が容赦なく天災の爪あとを照らし、うなだれながらそこら中の片づけをした。

映画でもドキュメンタリー番組でも、ああ言った天災は「美徳」みたいに描かれる。
なんてのは言いすぎか。美徳ってのは語弊があるかな、ごめんなさい。
私が捻くれているからかな。
なんか、健気にひたむきに頑張る人・・・、みたいな。
今は、元気で笑顔も取り戻しました!みたいな。

ああ言う事の後には決まって言われる「心のケア」。
そして、時が経てば当事者以外にはもう、「過去の事」。

でもね、過去のことなんかじゃないんだよね。
昨日の事みたいに、覚えてるよ。
あの日の昼間、熱帯魚の水槽の水を換えて綺麗にしたこと、すげぇ天気が良かったこと。
あんなことが起こる前までカレー食べながらビール飲んでたこと。
まさにその時、自分が座っている床が一回、ズシン!って沈んだことも。
その後の信じられないくらいの横揺れも。
家の中の色んな音も。自分の叫び声も。何もかも。
おさまって安堵した後の、容赦ない2回目の揺れも。
「狂ってる」って思ったことも。
「死ぬ」って思ったことも。

その辺のこと。
今頑張っているか、今幸せに暮らしているか、今街が復興しているか・・・なんて、どうでもいいよ。
だって、傷、癒えてないよ。
ねぇ、もっとあの時の恐怖、わかってよ、って思う。
でもね、それはムリってこともわかってる。
だって、経験しなきゃ、わかるはずないもの。
だから、震災の翌年、長岡市の花火大会で「フェニックス」が打ち上げられた時も。
あれを復興の証とするのは結構だけれども、綺麗だね、すごいね、だけの感情じゃすまされない恐怖があったんだよってこと。
いくら道が綺麗になってもさ、ひび割れた駅が元通りになってもさ。
心の復興は、できてないよ。

当事者にしかわかんない。
だから私は、自分が体験した天災以外の恐怖は知らない。
想像はできるけど、被災者の恐怖は想像を絶するものだから。

タイタニックと中越地震をコラボするのは、おかしいか?なんて思ったけど・・・。
だって私は生きてるし。
こうやって、普通に生きてるし。

でもさ。
ああ言う体験して、ああ言った映像にただただ心を打たれたり、気の毒に思ったりすることはなくなった。

感じるのは、恐怖心。
それだけ。

だからあまり見たくない。
見なきゃ、良かった。

あの時を思い出して、すごくすごく、怖くなった。
何かにしがみつきたくなったんだ。

心のゾワゾワが、止まらなかった。


その地震から数ヵ月後、私は強烈な眩暈と耳鳴りを経験し。
それは「突発性難聴」と診断され、完治は残念ながらせず、今もまだ耳が詰まった不快な状態。
浜崎あゆみさんが同じ病名かな?
彼女は私よりもひどそう。私は発症してからすぐに耳鼻科に行ったからまだこの程度で済んだけど。
本当は、入院して体動かさずに安静にして治療に専念するべきだったのだけれど。
普通に働いていたからね、あの時、勤めていた会社のことより自分の体を優先して入院すれば良かったと今更ながら思う。こんなにも辛いとは思わなかったから。
処方してもらった薬を受け取るために薬局に行った時の薬剤師さんの言葉・・・「ムリしないでください、掃除なんかしなくってもいいのですから、とにかく休んでください。」涙が出た。

私がこの病気になったのは、地震のせいだったと思っている。
って言うか、後からそう思った。あの時は客観的に自分のことを見れなかったから。
自宅に居るときに被災したので、まず家に入るのが困難だった。
だから、結構就業後も会社にいた。でも、いつまでも会社にいるわけにはいかず、自宅に帰っても車を降りれずしばらくじっとしていた。
一人になるのが怖くて、例えば今地震が来たらどうしようって言う恐怖で何もできなかった。
ちょっとした揺れも怖い。今でもそうだ。トラックなんかが通ると揺れるけど、それも怖い。
地震速報も怖い。体が硬直する。

私は気付かないうちに、少しも安らぐ事がないまま何となく生きていた。
どこにいても、天井の照明器具が揺れていないのを、確認しては安心する日々だった。

今でもね、そうなんです。
だからね、今年になって一人で稼動してる時、今大きな地震が来たらどうしようって思うだけで心臓がバクバクした。
去年は相方がいつもいつも一緒だったから、大丈夫だった。

ぜんぜん、癒えてなんかない。
恐らく、自分が死ぬ時も「あの時は怖かったねぇ。」なんて思い出すのだろう。
あれほどの恐怖、これからの人生にあるとしたら私は死んだ方がマシ。本当にそう思う。

こんな私から言える事。
パチ打つ時は耳栓した方がいいですよ。騒音レベル「大」の空間ですから。
耳は大事に。
ちなみに私、突発性難聴になってから耳栓するようになりました。
それまではしてなかったんですけど。
一度、耳栓しないでパチ屋にいたことがあって。症状が悪化しました。
「ある日突然」、強烈な眩暈・耳鳴り・片方の耳が聴こえない・・・、この症状が一度に起こったら問答無用で即刻耳鼻科に直行することをオススメします。
とにかく、すぐです。早ければ早いほどいいです。早いほど、完治率は高いです。
できれば、仕事も休んで何もせず治療に専念してください。
これをしないと、私みたいになります。かなり、苦痛ですよ。
もう慣れましたけど、時折自分の症状を思い出して落ち込みます。

おっと。
話が反れましたね。すみません。
まぁ、興味ない人はスルーでお願いします。
って言うか、ちっとも楽しい記事じゃなくてごめんなさい。


うーーーん。
酔っ払うと多弁になるなぁ。
普段は「借りてきた猫」みたいにおとなしいのに(笑)。
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【2008/03/30 00:03】 | 独り言(マユ:記) | コメント(0) | page top↑
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